ドイツ語などという古めかしい亡霊にしがみつく者は、この国にはもういなくなっていた。いや、いるのかもしれないが、みな本心はハリウッド風の外套のしたに隠しこんで、とっくに転業したように見せかけていた。大学のドイツ文学科には、もう何年も進学してくる学生が無かった。それでも教授たちには高給が支払われ、彼らはそれぞれの新奇な分野で、生乾きの鍍金(めっき)をひけらかしていた。
すぐ隣りの研究室では、東洋文学の教授が数人の学生を集めて、ほとんど真っ白くなった蓬髪を振りながら、袖珍版の解読に没頭していた。学生たちは、他の学校から来ている“にせ学生”で、ここの大学院に潜りこもうと狙っている者もいれば、まったく関心がない、趣味の独学者(アウトディダクト)としか見えない者もいた。学生たちは、朝鮮総督府編纂の、膝に乗りきらないほど大判の辞書をひっくくっていたが、そこには訓民正音でも華文でもなく、古めかしい日本語が書かれているのだった。解読作業のあいま、蓬髪の教授は、最近韓国の軍艦に搭乗した際に、招待客である彼のために日の丸が掲揚されるのを見て、涙が出るほど感激した体験を語り、学生たちは熱心に傾聴していた。
【注】袖珍版(しゅうちんばん):『武英殿聚珍版全書』。乾隆48(1783)年成立。清朝の国家的編纂事業である『四庫全書』から重要な書を選んで木活字で印行したもの。中国・周代以来の古典155種を収めている。
【注】訓民正音:ハングル文字の本来の名称。また、李氏朝鮮王朝・世宗(セジョン)王が、創成させたハングル文字を公布した書籍の名。
袖珍版の講読が終わり、教授の部屋を出ると、ぼくは池のほうへ歩いていった。かつて文豪が、おのぼりの地方青年の初恋の舞台にした・この池は、いまはコンクリートで簡易舗装された遊歩道に囲まれていた。寒くなったせいか、きょう池のまわりには誰もいなかった。すっかり葉を落とした楡(にれ)の小枝が、曇り空を突き刺していた。
池の岸に人影が見えた。ぼくは、遊歩道を降りて、池に近づいていった。人影は、うずくまって、なにか探して、あるいは拾っているようだった。ぼくと同じくらいの齢(とし)か、もっと若い男、少年のようにも見えたが、顔は草叢(くさむら)の陰でよく見えなかった。猫背の背中だけが、みょうにありありとして眼に入ってきた。一瞬、ぼくにはその少年、その男の裸かの背と背骨の隆起が見えたような気がした。当然のことにそれは錯視だった。この寒空(さむぞら)のしたで、裸体でいるわけがない。黒いウィンドブレーカーを着こんでいたが、彼の丸い猫背が、やはりなにかを探すように動いていた。
彼はちょうど、池をはさんでぼくの対岸にいた。彼はぼくから見ると斜め横向きに、池の水面に向かっていた。池には噴水があり、季節感のない少年のブロンズ像が、しぶきを浴びていた。空に向かって無邪気に広げた腕が、夏の盛りを謳歌していた。像は、裸体の股のあいだからも雫を垂らしていた。
池の向うの彼が、少し顔を上げた。ぼくより若いように見える、端正な少年の顔立ちだった。草叢の草を手で探っているようだった。
鴉(からす)かなにか、空を黒い影が横ぎった。向う側の彼が、ぼくを見て笑いかけたような気がした。ぼくは、池の向こうへ回ってみたくなった。そこに、なにか抗しがたい衝動を感じていた。