ギトンの秘密部屋だぞぉ

創作小説/日記/過去記事はクラシック音楽

カンフーにしちゃえば、かんたんだけど。。。  Imitante Bruce-Lee-Kung-fu mi povus pli facile verki, sed la historia realo estas alia..

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 こんばんは。

 小説はいよいよクライマックスに差しかかってますが、ここで1回、日記を入れます。
 このあと、隠密に調査地へ向かう茶山の一行は、危惧されていたとおり、保守派の差し向けた暴漢に襲われて、‥‥すったもんだの末にチャンバラ活劇と相成るんですが‥

 ちょっと困っちゃってるのは、当時の大陸系の剣術や武術が、よくわからないことなんです。

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『三峡必殺拳』より。     

 中国武術といえば、有名なのはブルース・リーカンフー映画ですが、あれは歴史とはちがうみたいw 映画でも、中国映画には歴史上の拳法や武術を各種再現したものがあって、参考になります。『三峡必殺拳』とか。見ると、ほんとにいろいろな拳法があります。動物の動きに見立てた十二形の「形意拳」:龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、𩿡形拳、鷹形拳、熊形拳、蛇形拳、鼉形拳。狐と鶴の闘う様子を見て、鶴の動きを取り入れたという白鶴拳ブルース・リーとか「少林寺拳法」とかは、もうごくごく一部です。

 中国拳法は、武器(剣、刀、槍、棍棒)も使います。武器を持って戦う前段階として身体の動きを訓練するのが、徒手拳法なのだそうです。
 プロモーション・ビデオを見ていて、興味をそそられたのが、↓これです。

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東京太極拳協会公式プロモーションビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=TsBXUjU0kn0

 左手に広刃の刀を、右手に、ヌンチャクを長くしたような武器を持って、振り回しています。どちらも、ものすごい速さです。武器を持った拳法は、みなそうですが、目で追って行けないような高速の動きです。ですから、↑上のように画面キャプチャ―にしてしまうと、ほとんど見えません。しかも、ただの回転ではなくて、すごく複雑な動きなんですね。

 ネットを検索してると、日本刀のようなものは中国や朝鮮にもあったか、という話題がさかんで、日本語で書いてる意見は、まぁ当然のことながら、日本刀は日本独自のもので、外国には、もし有っても輸入品だ、というんですねw。なかには、「ソリのある刀は、日本でできたもので、他の国では造れなかった。」なあんて、とんでもない大嘘こいて悦にいってるオッサンもいて、絶賛されてたりしますwww

 でも、調べてみると、日本語版wikiを見ただけでも、少なくとも明代以後は、日本式のカタナ(倭刀)が、中国でも造られています。なぜかというと、倭寇の襲来に悩まされたので、倭寇が使っている日本式の太刀と剣術を採り入れようと努めたんだそうです。「日本だけだ。プンプン」よりも、筋の通った話ですよね。

 剣と刀(かたな)は、どう違うかというと、剣はまっすぐで両刃、カタナは、そりがあって片刃。もともと中国では、剣は両手で持って使うもの。刀は、片手で持つ小型の武器だったらしい。(だから、もともとの発祥を言えば、剣も刀も、みな中国から、朝鮮→日本に伝来したんです、邪馬台国のヒミコとか、もっと前の時代にね。当たり前の話ですねw)

 ところが、日本では、平安時代、つまり武士が台頭したころから、両刃の剣は使われなくなって、片刃で大型の「太刀(たち)」を使うようになった。なので、日本の「剣術」は、カタナを両手で持って使うんですね。つまり、両手で武器を持つ点では「剣」術だけれども、持つ武器は剣ではなく、カタナなんです。
 室町時代くらいのカタナ―――「太刀」は、今の日本刀よりも大きくて重いものだったそうです。相手を斬るよりも、叩いて殴るための武器だったんです。重い鎧を着た馬上の武者を、刃物で斬って殺すのは無理だったからです。殴ってダメージを与え、戦闘力をそぐための武器でした。江戸時代になると、実戦よりも武士の精神修養の手段、ステータスシンボルとしての機能が重視されるので、カタナは、やや小型化した細身のもの――現在に伝わる「日本刀」になるわけです。

 大陸では、どうだったかというと、時代が下るほど、剣も小型化して、拳法の剣のような、軽い剣や刀を高速で振りまわして相手を圧倒する使い方が主流になったようです。古い「両手剣術」は廃れていましたが、明末に、朝鮮で古い兵法書が発見されて復興し、中国に逆輸入されます。朝鮮で復元されたので「朝鮮勢法」というそうです。
 ところが、その李朝の朝鮮王朝は、《壬辰倭乱》(秀吉の侵攻)で、日本刀と日本の武士の剣術に圧倒されて、苦杯をなめるわけです。そこで、乱後は、日本からカタナの剣術を採り入れようという動きも(主流ではなかったようですが)起きてきます、朝鮮朝の武官のなかには、日本から来た徳川幕府の通信使の宿舎(倭館)に通ったり、通信使に随行して日本に渡ったりして、日本の剣法を熱心に学んだ人もいたそうです。侵略がいい・悪いとは別に、それを撃退するには、強くなることが必要ですからね。

 まぁ、そんなあたりも、小説に反映させられたらと思っています。

ameblo.jp

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