ギトンの秘密部屋だぞぉ

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昧爽の迷宮へ(9) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

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男寺党 サンモノリ(吹き流し舞踏)

 亭閣のある広場に着いた時には、身体(からだ)はすっかり乾いていた。浅黒い肌の少年は、座員たちに「チャドル!」と呼ばれて、声をかけられていた。老若の男ばかりの集団だった。チャドルより若い少年も混じっていた。ぼくには、声がかからない代わりに、鋭い視線を一斉に投げてきた。そして、さまざまな表情をした。自分の股ぐらに手を突っ込む少年もいた。遠慮のない眼で、舐(ね)めつけるように見ているのは、中年の髭づらの男だ。「ウェノム」「ウェノム、マシッスルコヤ」という声が、男たちから漏れた。「おいしそうな倭人」というわけだ。ぼくの真白い裸体が彼らの好奇心をそそるのかと思ったが、食欲もそそっているようだった。彼らとは異族であることは、顔と体つきから分かってしまうのだ。
 チャドルは、ほかの座員と同じ衣装を羽織って、腰を下ろした。ぼくを隣りに座らせたが、ぼくの着るものはなかった。さっきからいやらしい眼付きで舐
(ね)めまわしていた男が、襤褸(ぼろ)を持って来てかけてくれた。その序(ついで)に、股のあいだをじっくり手にとって品定めされたが。

 「チャドラ!」

 亭閣の中の士族(ソンビ)が、チャドルに声をかけて呼び寄せた。チャドルは、ぼくの手をとって立ち上がった。亭閣に上がってゆく途中で、くだんの髭づらの男がぼくの足をつかんだが、チャドルにぴしゃっと叩かれて退(しりぞ)いた。ぼくは上がり框(かまち)で足の泥を払った時、襤褸は脱ぎすててそこに置いた。亭閣の中はきれいな板敷きで、塵ひとつなく清められていた。そこに、汚れた襤褸をまとって上がることは憚(はばか)られたのだ。

【注】「チャドル」:吏読(りとう)で「次石乙」と書く。朝鮮時代の奴婢(奴隷身分)に多い男子名。呼びかけるときには助辞がついて、「チャドリ」「チャドラ」などとなる。「吏読」は、高麗・李朝時代に使われた、朝鮮語の発音を漢字で表す表記法。

【注】「ウェノム」:「倭奴」と書く。日本人の蔑称。

【注】「ソンビ」:士人。朝鮮王朝時代の支配階級の理想的な人物像。日本の「さむらい」に対応する。学識が高く、礼節・言動が正しくて、義理・原則を守り、官職・財産に慾がない高潔な学者肌の人。(小学館朝鮮語辞典』)

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 士人(ソンビ)は、床(ゆか)よりも一段高くなった雛壇(ひなだん)の上に坐していた。チャドルとぼくは、そこから少し距離をおいて並んで平伏し、チャドルは床板に額(ひたい)を擦りつけて、コン、コンと3回鳴らした。ぼくもそれに倣(なら)った。顔を上げると、ぼくは士人(ソンビ)の自尊に満ちた風貌に、曖昧な記憶を呼び覚まされたが、それ以上何も思い出せなかった。若い仕官者のようだった。士人はチャドルに問いかけ、二人はしばらくやりとりしていた。士人の言葉は、チャドルのそれよりも難しくて、ぼくにはまったく解らなかった。
 士人が、ぼくのほうに向きなおって、硬い表情でゆっくりと喋った。何か尋ねたが、やはりぼくには何も解しえなかった。そのあとは沈黙して、据わった眼でまっすぐにぼくを見つめた。チャドルも、隣りから心配そうにぼくのほうを見た。二人は、ぼくが訊問にどう答えるか、注視しているのだった。

 息詰まる時間が流れた。ぼくは、士人の前にある文机(ふづくえ)を無言で見つめた。薄手の紙を広げて、書状をしたためていたようだった。達筆な楷書で書かれた文の末尾に「乙卯〇月〇日丁若鏞茶山」と記されているのが見えた。「乙卯」といえば、丁茶山が暗行御史を拝命した年にまちがいなかった。ぼくは思わず、「タサンニム!」――茶山さま、と叫んだ。

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 茶山の反応は素早かった。傍らにおいていた小刀を引き抜くと、壇を駆け降りて、ぼくの喉元にぴったりとその切っ先を当てた。厳粛な低い声で、何か叫んだ。なぜ自分の名を知っているのか、と糺しているようだった。 チャドルが茶山に向かって、口早に何か言って取りなしていた。茶山は、小刀をぼくの喉にあてたまま不動の姿勢を続けた。チャドルがなお二言三言言い継ぐと、彼の表情が少しずつゆるんだ。

 茶山は、小刀を下ろした。

 茶山は雛壇から紙と筆を持ってくると、
 「汝姓名何也」
 と書いて、ぼくの胸元
(むなもと)に突き付けた。
 ぼくは受け取って
 「西雅也也」
 と書いて渡した。

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 「汝倭奴歟」
 「倭國良民也」
 「何故到此處来歟」
 「不知道理 欲拝佛寺而忘路 卒然到池水也」

 こんな調子で筆談が始まった。

 「怪異也 汝怪異之者歟」
 「非怪異之者也 晋陶潛武陵之人 溪行忘路 到桃花源之事也」

 茶山が眼を上げてぼくを見た。眼付きが変わっていた。「道に迷って桃源郷に辿(たど)り着いた」というぼくの話を信用したわけではなさそうだが、ぼくの古典知識を認めて一目(いちもく)置いたのだろう。

【注】「桃花源」:中国・晋の陶潜(陶淵明 365-427)が著わした『桃花源記』に、「晋ノ太元中、武陵ノ人、魚ヲ捕ラフルヲ業ト為ス。渓ニ縁リテ行キ、路之遠近ヲ忘ル。」とある。突然、川の両側が桃花の林になり、さらに溯行すると、水源に洞窟があって、洞窟を抜けた向う側は戦乱のない別世界だったという。これを故事として、幸福なユートピア世界を「桃源郷」と言う。

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