ギトンの秘密部屋だぞぉ

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昧爽の迷宮へ(13) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

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太極剣 (2016年 全日本武術太極拳競技会)

 ぼくは投石器を渡されていたが、飛距離が届かなかった。仮に届いたとしても、正確に狙った場所に飛ばなかったから、敵に当たるか味方に当たるか、わからなかった。混乱した戦いでは、この道具は使いものにならないと思った。それで、少し離れた場所から戦闘を眺めていた。ぼくはきょうも、朝から裸かのままだったが、戦闘ともなると、何も着ていないのは不利だと思った。

 日本刀の青服が活躍したせいで、暴漢たちは勢いを盛り返して優勢になっていた。男寺党側は圧(お)されぎみだった。いま、日本刀の男は堰堤に登って、上から暴漢たちを指揮していた。男寺党側は、ひとりひとりの技能はまさっていても、しょせんは個人妙技の集合だった。どうしても、司令塔のある敵方のほうが有利になる。このままではまずいと思った。

 いきなり後ろから黒いものが飛んで来て、強い衝撃を受けた。ぼくはずるずると地面を引き摺(ず)られた。錘(おもり)の付いた鎖のようなもので絡めとられてしまったのだ。身体じゅうが傷だらけになった。油断していたのがいけなかった。
 ぼくは、堰堤のそばの、青服の真下に引きずられていった。

 「アヤ! アヤ!」
 と叫びながら、チャドルが追いかけて来た。青服の男が、日本刀を抜いて堰堤から降りて来ると、チャドルに立ちふさがった。男は日本刀を正眼に構え、チャドルは、2本の小ぶりの剣を両手に持ってぶんぶん旋回させた。恐怖をそそる点で日本刀の輝きがまさっていることは、見る眼にも明らかだった。

 しかし、それを見ながらぼくには閃くものがあった。ぼくは、自分の身体(からだ)に巻き付いていた鎖をほどくと、錘(おもり)の付いた端(はし)を、頭の上で力いっぱい振り回してから、抛(ほう)り投げた。錘は、青服の顔を掠(かす)めて刀に絡みついた。ぼくは、青服がよろけたのに合わせて、全身の力を振り絞って鎖を引いた。刀は、音をさせて地面に落ちた。ぼくは捕獲した獲物を鎖ごと、彼らとは反対側に抛り投げた。
 案の定
(じょう)、日本刀を奪われた青服は、それだけで無力化した。チャドルの二本剣に圧(お)されて、堤(つつみ)の下まで後退し、無防備な背中を敵に見せながら土手を這(は)いのぼった。チャドルが追いかけて攀(よ)じ登った。

 二人は堰堤の上で向かい合ったが、武器を失ったほうは、ただ後ずさるだけだった。チャドルは剣の手をいよいよ速くして迫った。青服の足もとが崩れて、土砂が落ちて来た。ふたたび見上げると、青服の姿はなかった。向う側の溜池に落ちたようだった。

 チャドルが、堰堤の上で両手の剣を大きく振って雄叫(おたけ)びを上げた。男寺党(ナムサダン)の面々が歓声を上げて応じた。

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東京太極拳協会公式プロモーションビデオより。      

 男寺党側が勢いを盛り返して、土手の下の乱闘が再開された。

 その時、平原のほうから、甲冑を着けた騎馬武官が2騎、全速力で馳せて来た。あとから数人の胥吏が、太い縄や捕(と)り道具を担(かつ)いで走って来た。

 武官たちは、騎馬のまま戦場に走り込んで双方を引き分けた。抵抗する者は蹴散らした。こうして戦闘はおさまったので、彼らは馬から下(お)り、騒動の原因を作った秩序紊乱(びんらん)者を捜し出して処罰する段に移った。

 男寺党と暴漢、双方が、互いに相手を罵(ののし)って口々に喚(わめ)き立てた。
 武官たちは、暴漢の一味ではないようだったが、こちらの味方でもなさそうだった。なんといっても、ぼくらの側は男寺党で賤民なのだった。茶山が、武官たちに近寄って口添えしていたが、彼らは耳を貸さないようすだった。武官には武官の秩序と矜持があって、上位の文官が何か言えば従うというものではないのだと思った。ましていま茶山は、男寺党の衣装を身にまとった“不審な”上位者だった。

【注】「胥吏(しょり)」:李氏朝鮮王朝における地方官衙の下役人。科挙に合格して官吏になる文官・武官とは異なって、縁故採用または世襲だった。

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      KBSテレビドラマ『武人時代』より。

 そのうちに、暴漢のなかで堰堤のほうを指(ゆび)さす者がいて、武官たちは草の生えた斜面を登って、土手の向う側の捜索を始めた。しばらくすると、泥だらけになった青服の文官が、胥吏に肩を抱えられて堰堤を越えて来た。用水池に落ちて溺れ、だいぶ水を吞んでしまったようだった。顔が真っ青だった。

 武官たちは色めき立った。暴漢たちは、堰堤の上にいるチャドルを指差して口々に非難した。武官のひとりが号令をかけると、胥吏が2名、縄を持って駆け上がって行った。ぼくは駆け寄ろうとしたが、チャドルが捕らえられたと思った瞬間、彼の姿は堰堤の向こうに忽然と消えてしまった。

 ぼくは、草の斜面を駆け上がった。

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