ギトンの秘密部屋だぞぉ

創作小説/日記/過去記事はクラシック音楽

ねじれた「迷宮」にも昧爽が訪れて  Das Labyrinth beider Nationen, wobei sich die Dämmerung des Morgens naht.

 →→→昧爽の迷宮へ(1)

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 こんばんは。

 『昧爽の迷宮へ』、いかがでしたか? 次作のネタは、書いてるうちに浮かぶもの――だそうですが、すぐに次を書くのは控えて、しばらく構想を温めたいと思います。なので、1か月ほどお休みをいただきます。他のブログの更新が遅れてしまっていますし。。。

 最後の乱闘場面は、書いているうちに、予想もしなかったことが次々に起きて、何度も書き直しました。事前の下調べを綿密にやったつもりだったんですが、場面進行は計画から大幅に外れてしまい、キーボードの弾き出すままに進んだ次第でした。
 はじめのうち伏線として置いていたキリシタン迫害の現場にはたどりつきませんでした。読んでいて、なにか途中でテーマが変ってしまったように感じられたかもしれません。

 じつは、史実としては 1795年、つまり、まさに小説の舞台となった年の正月、北京から中国人神父・周文謨が、国禁を犯して(朝鮮王朝は鎖国中)ソウルに潜入してきました。情報をキャッチした朝廷はただちに捜索の手を向けましたが、周神父を発見することはできず、通訳と朝鮮人教徒らを捕らえて処刑したにとどまりました。その後、神父は6年間にわたってソウルに潜み、“地下教会” の布教を指導します。1800年には、朝鮮のカトリック教徒は1万名に達したと云われています。茶山が暗行御史を命ぜられたのは、まさにその “鬩ぎ合い” の渦中でのことだったのです。

 ですから、小説は史実とは距離があるのですが、これはこれで一貫したスジになっているんじゃないかとも思っています。しばらく寝かしといてから、あらためて読み返してみないと、そのへん、出来がいいのか悪いのか、いまは判断がつきませんです。

 もっとも、何もかも行きあたりばったりに書いた、というわけではありません。保守派――つまりワルモン??――のほうに日本刀の優秀な使い手がいるとか、味方の武器がズッコケてるとか、混乱を締めくくるべく最後にやって来た騎馬武官――つまり、デウス・エクス・マキナですなw――が、正義の味方どころか、どっちつかずで、けっきょくワルモノの味方をしてくれちゃうとか……―――そういうのは、じつは作者の意図どおりなんです。歴史の現実というのは、そうそう水戸黄門みたいに単純明快には進まない。捩じれ捩じれの連続で、もつれたように一進一退する。――というのが、作者の歴史観なのであります。

【参考文献】浅見雅一・安廷苑『韓国とキリスト教中公新書,2012; 柳洪烈・著,金容権・訳『近代朝鮮における天主教弾圧と抵抗』彩流社,2013.  

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 作者の見るところでは、いまの日本の人は、たぶんテレビの影響なんでしょう、世の中に対して、あんまり単純な見方をしすぎるように思います。“右”の人も、“左”の人も、スパッと単純な筋書きを描きすぎています。
 たとえば、警察というのは、社会秩序の維持が任務ですから、世の中が二つに割れて争っている時には、どちらの味方をするわけにもいかなくて、頭を抱えてしまう。いや、ほんとに頭を抱えてしまったら威信がなくなりますから、「中立」を標榜して権威を維持しようとします。そのじつ真ん中を見きわめるのは難しいですから、結果的にはどっちかの肩を持ってしまいます。
 最近の韓国のニュースを見ても、そういうことがよく分かります。もちろん、日本にも同じことがあるはずですが、日本は近すぎてよく見えないので、ここでは韓国の例を出しましょう。

 元慰安婦を支援する民間団体『正義連』(『挺身隊問題対策協議会』の後身)が、ソウルの中心部にある「少女像」の前で、「水曜集会」というのを、この 30年間毎週やってきたのですが、最近、「保守系」団体――日本の「在特会」レベル。「極右」とも――が、先に集会申請を出して「少女像」前を占拠し、大声で『正義連』を攻撃。『正義連』は、少し離れた場所に追いやられています。『国家人権委員会』が、警察は集会妨害を目的とする申請を許可するな、許可するなら条件を付けろと勧告したんですが、警察は、「慎重に検討する」と言ったまま長考状態です。
 なにしろ、韓国は今、大統領選挙戦の真っ最中。しかも、世論調査結果は、ほとんど1週間ごとに2人の主要候補(李在明[進歩与党] vs 尹錫悦[保守野党])のあいだを行ったり来たりしています(28日時点ではピッタリ同率!)。どっちが次の大統領になるやら、誰にも判らない状態。これでは、警察はどっちの味方もできないのです。うっかりどっちかの肩を持てば、大統領が決まったとたんに、人事刷新の嵐が吹き荒れるかもしれませんから。。。 幹部の保身のためでなくとも、とにかく秩序を維持する側というのは難しいのです。正義の味方なんて言ってられない‥‥ぶっちゃけて言えば、そういう面があります。

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 それはいまに始まったことではなくて、たぶん 200年前も同じだったと思うのです。ぼくには、作中の騎馬武官の念慮がとてもよくわかるし、そのゆえに2人の主人公(茶山もいれれば3人)にとって苛酷な結果になるのも、よくわかるのです。“どうにもならない” 現実の、“どうにもならなさ” を描くのが小説の使命ではないかと、……気取って言えば、そういうことになります。
 それじゃあおまえは、批判的リアリズムも社会派も否定するのかと言われそうですが、それは次元の違う問題です。“解決” が示されるとか示されないとか、ハッピー・エンドになるかどうか、といったことは重要ではないと思っています。ハッキリ言って、どちらでも結構。重要なのは結論ではなく、そこに至る過程です。たとえば、小林多喜二は最高の文学です。あれほど凝縮された “どうにもならなさ” を描出した作家は、日本にはほかにいないからです。たとえ本人は、バネをより大きく飛ばすために、より大きな力で押さえ込んでいるのだとしても。

 それにしてもぼくの小説は、“騒動” の描き方に異和感を持つ向きもあるかもしれませんが(クライマックスの 13回目だけアクセスが少ないので判ります)、韓国社会特有の・あのざわざわしたパワーは描けたと思っています。日本で言えば「超・大阪」ってとこでしょうか?w

 次作は、どんな方面を書くことになるでしょう? いまの時点ではまったく白紙です。ぼくの関心は、今回は十分に書けなかったキリスト教+「西学」の弾圧に、本格的にメスを入れてみたいというのもあります。しかし、それには相当の下調べが必要です。今回ちょっと調べたところでは、重要な文献はみな韓国語で、翻訳されてはいないようです。漢字の少ないハングル文を読むには、時間がかかります。
 「ぼく」の "同性愛幻想" をもっと掘りこんでみる、というのも考えています。こちらは下調べの必要はないけれども、作者としては自己解体にもなりかねないので、精神的なキツさはずっと大きいのです。

 ともかく、1か月後‥‥あるいはもっと先?‥‥にまたお目にかかりましょう。至らない拙文をご高読いただき、ありがとうございました。

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 →→→昧爽の迷宮へ(1)

昧爽の迷宮へ(14) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

昧爽の迷宮へ(13)←   →昧爽の迷宮へ(1)

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 堤(つつみ)は深い紺青(こんじょう)の水を湛えていた。チャドルの姿は、どこにもなかった。

 「チャドラー! チャドラー!」

 ぼくは声の限り叫んだが、遠くの岩山からこだまが返ってくるだけだった。
 チャドルは、沼に落ちて沈んでしまったのだろうか? それとも、追手を逃れるために、水の底にひそんでいるのだろうか? ぼくは水面に顔を近づけて覗いたが、水は透きとおっているのに、底を見透すことはできなかった。深い深い藍色がどこまでもつづいていて、水中には何も見えなかった。ぼくは、飛び込んで水底を探そうと思った。もし溺れていたら、沼の向こう岸へ運んで蘇生させ、ふたりで逃げようと思った。

 靴を脱いで水際に下りて行くと、うしろからがっしりと羽交い絞めにされた。首を後ろに回すこともできなかった。ぐずぐずしていると、チャドルが溺れ死んでしまう。

 「チャドラー! チャドラー! チャドラー!」

 ぼくは、肩を捉えている腕を捥(も)ぎ離そうとして暴(あば)れながら、何度も何度も叫んだ。ついに腕が回って来て、頬を叩かれた。

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 「おい、だいじょうぶか?」

 日本語……。ぼくは、はっとして後ろをふりかえった。医学部生のEが、ぎょっとした目をして、ぼくの肩をつかんでいた。

 「だいじょうぶか。池に飛び込もうとしていたぞ!」

 水面の向こう岸に、見なれた木立ちがあった。裸体の少年像の噴水があった。たしかに、そこは大学の池だった。ブロンズの少年は裸体。ぼくは着衣だった。Eは、ぼくをつかんでいた腕を離した。息を切らしていた。上の遊歩道から、薬学部生のDが心配そうに見ていた。

 「もう、だいじょうぶです。心配かけて、すみませんでした。」 
ぼくは、二人に深々と頭を下げた。彼らに対して、とんでもない誤解をしていたような気分に襲われた。

 「いったい、どうしたんだ。気分でも悪いのか?」
 「いえ、なんでもないです。ちょっと友達を探してたもんですから。」
 「ともだち?」
 「いえ、あの噴水のことです。いえ、なんでもありません。」

 Eは、ぼくが何を言っているのか理解できないという顔をしてから、ぼくに話を訊くのはもう諦めたと言うように話題を変えた。

 「きょう、オアゲでパーティーがあるんだけど、Dさんが、君も誘ったらって言うんだ。でも君は来ないよな? また、れいの留学生のM氏もご来場だし。彼は良くない噂があるからね。君には迷惑だろう。」
 「ぼくはバイトがありますし。でも、Mさんには、いちどお会いしたいと思ってます。そういう方、ぼくは嫌いじゃないんですよ。」

 思わず、にまっと笑ってしまった。Eは「あ、そうか。」と言って、ぎこちない作り笑いをしてから、「じゃ、来週また。」と言って、慌てたようにDのほうへ戻って行った。

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 彼らの姿が木立ちの向こうに隠れてしまうと、ぼくは池のまわりを回って向う側へ行ってみた。水辺に、腰かけるのにちょうどよい石があって、菅(すげ)のような草が茂っていたが、ほかに何も変わったことはなかった。ぼくは、水面すれすれに顔を近づけてみたが、池の底に吸い殻とゴミが見えるだけだった。ぼくの眼から、意識しない水滴がひとつ、またひとつ、水面に落ちて輪を描いた。もう二度と会えないのだろうかと思った。

 腕時計を見ると、もう新宿に向かわねばならない時間だった。地下鉄の駅に向かって歩いていると、坂の途中で携帯が鳴った。店のママからだった。

 「マサヤあ! ご苦労さんだけどねー、〇〇さんのところへ行って、段ボールを受け取っといてくんないかな。グラスが入ってるから、店に運んだら、よく洗って干しといて!」
 「え? またですか?」
 「また? 何言ってんのよ。店にあるグラス、みんな開店の時に買った安もんだからさア、もうすっかり古くなっちゃって、おニューにしないとって、オーナーさんが手配してくれたのよお。」
 「あ、はい。」
 「わかった? じゃ、頼んだわよお。」
  電話を切ってから、ぼくは立ち止まって、しばらくぼっとしていた。頭の中がぐるぐると何回転かしたあと、ようやくもとの位置に戻った気がした。そうか、みんな夢だったのか。
 それで収まるように思ったが、何かまだ、おさまる場所の見つからない歯車が残っているような気がした。ぼくは駅へ向かいながら、ジグゾーパズルを組み立てるように、記憶の断片をつなぎ合わせていた。
 ママの店でバイトしてるのは夢ではないし、ママと身体
(からだ)の関係があるのも前からだ。そのあたりは問題ないとして、しかし、『東洋文庫』の史料はどうなのだろう? 男寺党(ナムサダン)は? ぼくの…… ぼくのたいせつな彼は?

 ぼくは、丁茶山の報告書が夢ではないことを祈った。(完)

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昧爽の迷宮へ(13)←   →昧爽の迷宮へ(1)

昧爽の迷宮へ(13) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

昧爽の迷宮へ(12)←   →昧爽の迷宮へ(14)

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太極剣 (2016年 全日本武術太極拳競技会)

 ぼくは投石器を渡されていたが、飛距離が届かなかった。仮に届いたとしても、正確に狙った場所に飛ばなかったから、敵に当たるか味方に当たるか、わからなかった。混乱した戦いでは、この道具は使いものにならないと思った。それで、少し離れた場所から戦闘を眺めていた。ぼくはきょうも、朝から裸かのままだったが、戦闘ともなると、何も着ていないのは不利だと思った。

 日本刀の青服が活躍したせいで、暴漢たちは勢いを盛り返して優勢になっていた。男寺党側は圧(お)されぎみだった。いま、日本刀の男は堰堤に登って、上から暴漢たちを指揮していた。男寺党側は、ひとりひとりの技能はまさっていても、しょせんは個人妙技の集合だった。どうしても、司令塔のある敵方のほうが有利になる。このままではまずいと思った。

 いきなり後ろから黒いものが飛んで来て、強い衝撃を受けた。ぼくはずるずると地面を引き摺(ず)られた。錘(おもり)の付いた鎖のようなもので絡めとられてしまったのだ。身体じゅうが傷だらけになった。油断していたのがいけなかった。
 ぼくは、堰堤のそばの、青服の真下に引きずられていった。

 「アヤ! アヤ!」
 と叫びながら、チャドルが追いかけて来た。青服の男が、日本刀を抜いて堰堤から降りて来ると、チャドルに立ちふさがった。男は日本刀を正眼に構え、チャドルは、2本の小ぶりの剣を両手に持ってぶんぶん旋回させた。恐怖をそそる点で日本刀の輝きがまさっていることは、見る眼にも明らかだった。

 しかし、それを見ながらぼくには閃くものがあった。ぼくは、自分の身体(からだ)に巻き付いていた鎖をほどくと、錘(おもり)の付いた端(はし)を、頭の上で力いっぱい振り回してから、抛(ほう)り投げた。錘は、青服の顔を掠(かす)めて刀に絡みついた。ぼくは、青服がよろけたのに合わせて、全身の力を振り絞って鎖を引いた。刀は、音をさせて地面に落ちた。ぼくは捕獲した獲物を鎖ごと、彼らとは反対側に抛り投げた。
 案の定
(じょう)、日本刀を奪われた青服は、それだけで無力化した。チャドルの二本剣に圧(お)されて、堤(つつみ)の下まで後退し、無防備な背中を敵に見せながら土手を這(は)いのぼった。チャドルが追いかけて攀(よ)じ登った。

 二人は堰堤の上で向かい合ったが、武器を失ったほうは、ただ後ずさるだけだった。チャドルは剣の手をいよいよ速くして迫った。青服の足もとが崩れて、土砂が落ちて来た。ふたたび見上げると、青服の姿はなかった。向う側の溜池に落ちたようだった。

 チャドルが、堰堤の上で両手の剣を大きく振って雄叫(おたけ)びを上げた。男寺党(ナムサダン)の面々が歓声を上げて応じた。

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東京太極拳協会公式プロモーションビデオより。      

 男寺党側が勢いを盛り返して、土手の下の乱闘が再開された。

 その時、平原のほうから、甲冑を着けた騎馬武官が2騎、全速力で馳せて来た。あとから数人の胥吏が、太い縄や捕(と)り道具を担(かつ)いで走って来た。

 武官たちは、騎馬のまま戦場に走り込んで双方を引き分けた。抵抗する者は蹴散らした。こうして戦闘はおさまったので、彼らは馬から下(お)り、騒動の原因を作った秩序紊乱(びんらん)者を捜し出して処罰する段に移った。

 男寺党と暴漢、双方が、互いに相手を罵(ののし)って口々に喚(わめ)き立てた。
 武官たちは、暴漢の一味ではないようだったが、こちらの味方でもなさそうだった。なんといっても、ぼくらの側は男寺党で賤民なのだった。茶山が、武官たちに近寄って口添えしていたが、彼らは耳を貸さないようすだった。武官には武官の秩序と矜持があって、上位の文官が何か言えば従うというものではないのだと思った。ましていま茶山は、男寺党の衣装を身にまとった“不審な”上位者だった。

【注】「胥吏(しょり)」:李氏朝鮮王朝における地方官衙の下役人。科挙に合格して官吏になる文官・武官とは異なって、縁故採用または世襲だった。

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      KBSテレビドラマ『武人時代』より。

 そのうちに、暴漢のなかで堰堤のほうを指(ゆび)さす者がいて、武官たちは草の生えた斜面を登って、土手の向う側の捜索を始めた。しばらくすると、泥だらけになった青服の文官が、胥吏に肩を抱えられて堰堤を越えて来た。用水池に落ちて溺れ、だいぶ水を吞んでしまったようだった。顔が真っ青だった。

 武官たちは色めき立った。暴漢たちは、堰堤の上にいるチャドルを指差して口々に非難した。武官のひとりが号令をかけると、胥吏が2名、縄を持って駆け上がって行った。ぼくは駆け寄ろうとしたが、チャドルが捕らえられたと思った瞬間、彼の姿は堰堤の向こうに忽然と消えてしまった。

 ぼくは、草の斜面を駆け上がった。

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昧爽の迷宮へ(12)←   →昧爽の迷宮へ(14)

昧爽の迷宮へ(12) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

昧爽の迷宮へ(11)←   →昧爽の迷宮へ(13)

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KBSテレビドラマ『暗行御史――朝鮮秘密捜査団』より。

 

 男寺党(ナムサダン)の演芸はお開きとなった。黒い両班(ヤンバン)帽を裏返しに持った座員たちが、村人のあいだを回って投げ銭(ぜに)を集める。
 ここで、通常の男寺党ならば、座員のうち子どもから若者までを村人に貸し出して「夜伽ぎの銭
(ぜに)」を稼がせるのが習わしだったが、茶山は厳重に禁止していた。それは士人(ソンビ)の潔癖さのためばかりではなかった。一行(いっこう)には、“敵”の差し向けた暴漢が、いつなん時襲って来ないとも限らないのだから、もしも襲われた時に若者が出払っていたら、甚大な損害を受けることになるのだ。

 若者の貸し出しがないと聞いて、村人は期待を裏切られたし、若い座員たちにとっても残念なことだった。とくに子どもの座員にとっては、「男色」は、裕福な家の養子にしてもらうチャンスだったのだ。そこで、一座が村広場から立ち去って行く時には、座員たちも村人たちも手を振って別れを惜しんだ。若い鼓手の手を握って涙をぽろぽろ流す村人もいた。もっともチャドルなどは、チョンガーの親父に何度も抱き付かれて、そのたびに無慈悲に払いのけていたが。

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忠清道 珍山郡 (現・忠清南道錦山郡珍山面)

 あくる日、男寺党の一行(いっこう)は、大道から岐(わか)れて細い間道を進んだ。きのうの道とは違って、行きかう旅人や行商人の姿はなく、ぼくらは誰も通らない道を進んでいった。鼓手のパーカッションも、きょうは休んでいた。路は曲がりくねり、片側には、ごつごつした岩山がつづいていた。もう、忠清道との道境に近いと思われた。

 平野の側に、高い堰堤で囲まれた大きな溜池が見えた。路は、堰堤と山すそのあいだで狭くなったほうへ向かっていたが、隘路の奥に、20~30人ほどの人が塊になって立ち塞がっているのが見えた。近づくとそれは、手に手に棍棒や長い道具を持った・ならず者の一団だった。
 暗行御史が男寺党に扮装して向かっているという情報は、もう、調査対象の地方に漏れてしまっているようだった。一団は、見るからに凶暴な荒くれ男たちで、現地の保守勢力が差し向けた暴漢に違いなかった。

 男寺党の一行(いっこう)は、歩速をゆるめることもなく彼らに近づいて行った。二つの集団は、至近距離で対峙した。
 しかし、相手側にいるのは、ならず者だけではなかった。いちばん前に、両班
(ヤンバン)の鍔広帽をかぶり、青い文官服を着た士人が傲然と立って、こちらに向かって大声で何か宣言した。ここは通さぬ、戻れと言っているようだった。

 茶山が進み出て、青服の男の前に、暗行御史の辞令書を広げて高々と掲げた。ところが相手は、手に持った杖を上げて、辞令書を振り払ってしまった。都を出れば、王の命令など何の役にも立たぬと、嘲笑っているかのようだった。ここはテレビじゃない。水戸黄門の印籠のような便利なわけにはいかないのだった。

 双方は、じっと睨み合っていたが、こちらが引き返さないと見ると、暴漢たちは、手にした武器を振りかざして襲いかかって来た。武器の大半は杖や棍棒で、ぼくは見たことのない鍤鍬(すきくわ)の類を握っている者もいた。見るからに、いなかのならず者たちだった。
 暴漢のほうが、ぼくらよりも人数は多かったが、男寺党の面々は、隠していた剣や刀をすばやく取り出して、応戦の構えを示した。暴漢たちは驚いて、やや怯
(ひる)んだようだった。彼らは、まともな戦闘の武器を持っていなかったからだ。

 暴漢の先頭にいる青服の文官が、脇に提げていた刀を莢(さや)から抜いた。大ぶりの太刀(たち)が、ぎらっと光った。

 「ウェーコン! ……」

 男寺党のなかから呟(つぶや)きが漏れた。「倭剣(ウェコン)」――日本刀だった。 

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KBSテレビドラマ『武人時代』より。  

 いきおいづいた暴漢たちは、棍棒や農具をふりまわしながら、こちらに襲いかかって来て混戦となった。男寺党のほうも、あまり統率がとれていなかった。そもそも、隊長のような統率する人がいなかった。それぞれが、自分の思い思いの武芸を繰りひろげていた。徒手で、ゆったりとした動きを見せながら、相手に攻撃する隙を与えない者。両手に小さい剣を持って、ものすごい速さで振り回している者。長い棒をふりまわして、ならず者たちを次々に叩きのめす者、など、さまざまだったが、戦場は混戦模様で、こちらがみな男寺党の衣装を着ていなければ、敵味方の区別もつかないほどだった。もう何人かの暴漢が倒されて起き上がれなくなっていたが、なにせ彼らのほうが人数が多い。集団と集団との勝負は、互角に見えた。

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KBSテレビドラマ『武人時代』より。  

 青服の日本刀の男が、混戦の渦中に踊りこんできた。男寺党の剣士たちが斬り込んで行ったが、次々に打ち返された。日本刀の男は、構えからして他の者とは違っていて、相手を圧倒した。剣を折られて逃げ帰ってくる者が続出した。
 味方に、古式の大ぶりの剣を振るう者がいて、日本刀に斬りかかって行ったが、撃ち合ったとたんに「ガシッ」と鈍い音がして、剣は折れてしまった。ちぎれた剣の先が、大きく弧を描いて飛んで行った。
 男寺党側の武器は、鉄とは言っても鋳物に近い脆
(もろ)い材質で、緻密に鍛造された日本刀とでは、勝負にならなかったのだ。

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昧爽の迷宮へ(11)←   →昧爽の迷宮へ(13)

カンフーにしちゃえば、かんたんだけど。。。  Imitante Bruce-Lee-Kung-fu mi povus pli facile verki, sed la historia realo estas alia..

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 こんばんは。

 小説はいよいよクライマックスに差しかかってますが、ここで1回、日記を入れます。
 このあと、隠密に調査地へ向かう茶山の一行は、危惧されていたとおり、保守派の差し向けた暴漢に襲われて、‥‥すったもんだの末にチャンバラ活劇と相成るんですが‥

 ちょっと困っちゃってるのは、当時の大陸系の剣術や武術が、よくわからないことなんです。

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『三峡必殺拳』より。     

 中国武術といえば、有名なのはブルース・リーカンフー映画ですが、あれは歴史とはちがうみたいw 映画でも、中国映画には歴史上の拳法や武術を各種再現したものがあって、参考になります。『三峡必殺拳』とか。見ると、ほんとにいろいろな拳法があります。動物の動きに見立てた十二形の「形意拳」:龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、𩿡形拳、鷹形拳、熊形拳、蛇形拳、鼉形拳。狐と鶴の闘う様子を見て、鶴の動きを取り入れたという白鶴拳ブルース・リーとか「少林寺拳法」とかは、もうごくごく一部です。

 中国拳法は、武器(剣、刀、槍、棍棒)も使います。武器を持って戦う前段階として身体の動きを訓練するのが、徒手拳法なのだそうです。
 プロモーション・ビデオを見ていて、興味をそそられたのが、↓これです。

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東京太極拳協会公式プロモーションビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=TsBXUjU0kn0

 左手に広刃の刀を、右手に、ヌンチャクを長くしたような武器を持って、振り回しています。どちらも、ものすごい速さです。武器を持った拳法は、みなそうですが、目で追って行けないような高速の動きです。ですから、↑上のように画面キャプチャ―にしてしまうと、ほとんど見えません。しかも、ただの回転ではなくて、すごく複雑な動きなんですね。

 ネットを検索してると、日本刀のようなものは中国や朝鮮にもあったか、という話題がさかんで、日本語で書いてる意見は、まぁ当然のことながら、日本刀は日本独自のもので、外国には、もし有っても輸入品だ、というんですねw。なかには、「ソリのある刀は、日本でできたもので、他の国では造れなかった。」なあんて、とんでもない大嘘こいて悦にいってるオッサンもいて、絶賛されてたりしますwww

 でも、調べてみると、日本語版wikiを見ただけでも、少なくとも明代以後は、日本式のカタナ(倭刀)が、中国でも造られています。なぜかというと、倭寇の襲来に悩まされたので、倭寇が使っている日本式の太刀と剣術を採り入れようと努めたんだそうです。「日本だけだ。プンプン」よりも、筋の通った話ですよね。

 剣と刀(かたな)は、どう違うかというと、剣はまっすぐで両刃、カタナは、そりがあって片刃。もともと中国では、剣は両手で持って使うもの。刀は、片手で持つ小型の武器だったらしい。(だから、もともとの発祥を言えば、剣も刀も、みな中国から、朝鮮→日本に伝来したんです、邪馬台国のヒミコとか、もっと前の時代にね。当たり前の話ですねw)

 ところが、日本では、平安時代、つまり武士が台頭したころから、両刃の剣は使われなくなって、片刃で大型の「太刀(たち)」を使うようになった。なので、日本の「剣術」は、カタナを両手で持って使うんですね。つまり、両手で武器を持つ点では「剣」術だけれども、持つ武器は剣ではなく、カタナなんです。
 室町時代くらいのカタナ―――「太刀」は、今の日本刀よりも大きくて重いものだったそうです。相手を斬るよりも、叩いて殴るための武器だったんです。重い鎧を着た馬上の武者を、刃物で斬って殺すのは無理だったからです。殴ってダメージを与え、戦闘力をそぐための武器でした。江戸時代になると、実戦よりも武士の精神修養の手段、ステータスシンボルとしての機能が重視されるので、カタナは、やや小型化した細身のもの――現在に伝わる「日本刀」になるわけです。

 大陸では、どうだったかというと、時代が下るほど、剣も小型化して、拳法の剣のような、軽い剣や刀を高速で振りまわして相手を圧倒する使い方が主流になったようです。古い「両手剣術」は廃れていましたが、明末に、朝鮮で古い兵法書が発見されて復興し、中国に逆輸入されます。朝鮮で復元されたので「朝鮮勢法」というそうです。
 ところが、その李朝の朝鮮王朝は、《壬辰倭乱》(秀吉の侵攻)で、日本刀と日本の武士の剣術に圧倒されて、苦杯をなめるわけです。そこで、乱後は、日本からカタナの剣術を採り入れようという動きも(主流ではなかったようですが)起きてきます、朝鮮朝の武官のなかには、日本から来た徳川幕府の通信使の宿舎(倭館)に通ったり、通信使に随行して日本に渡ったりして、日本の剣法を熱心に学んだ人もいたそうです。侵略がいい・悪いとは別に、それを撃退するには、強くなることが必要ですからね。

 まぁ、そんなあたりも、小説に反映させられたらと思っています。

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