ギトンの秘密部屋だぞぉ

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昧爽の迷宮へ(11) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

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原城(華城) 華虹門(世界遺産): 城郭が水原川を超える部分
にある水門。西洋式石造アーチの上に朝鮮式石組を積む。

 

 タン、タン、タタ。 タン、タン、タタ。

 大小の鼓を打ち鳴らして、男寺党(ナムサダン)の一座が大道を進んで行った。三拍子の開放的なリズムが、田畑も野山も躍動させていた。空は、今日もよく晴れあがっていた。歩いていると、身体(からだ)から汗が垂れて散ってゆくほどだった。藍、黄、赤、白の煌(きら)びやかな衣装が、周囲の地味な農村風景の中で際立っていた。草取りの鋤(ホミ)を握った村人たちが、作業の手を休めて、こちらを眺めている。「農者天下之大本」の旗幟を先頭に翻し、座員のうち数名が交代で、長い行列の前後を跳ね回って小鼓(ソゴ)を打った。
 茶山は、ぼくの進言を容れて、座員の服装に着替えていた。彼の文官服や紙、筆、キセルなどを納めた行李を、2名の座員が運んでいた。
 村の近くを通ると、子どもたちが歓声を上げて走り寄ってくる。子どもたちはみな素っ裸かだ。男たちも、大半は、よく日に焼けた上半身を露わにしていたが、女はみな、踝
(くるぶし)までとどく長いチマ〔スカート〕を穿(は)いている。その点だけが、ここが儒教の国であることを思い出させた。

 チャドルとぼくは、列の最後尾で並んで歩いた。きのうの襤褸(ぼろ)は、恥ずかしかったので捨ててしまった。もう眼が馴れたのか、ぼくの裸体を注視する者もいなくなったので、ぼくは裸かで通すことにしたのだ。ただ、ぼくのひ弱そうな足を見かねて、チャドルがどこかから靴を探して来てくれた。
 チャドルも、ぼくと並んでいるときには、着ているものを全部脱ぎ捨てた。彼はつねに、ぼくの手か腕をとり、けっして離さなかった。話しかけるときには、肩を抱きしめた。そうやって、自分そのままの姿でいるのが、ぼくら二人には似つかわしいと思ったし、チャドルもそう思ってくれているようだった。村人や、擦れ違ってゆく旅商人の眼にも、ぼくらのかっこうが奇異に映ることはなかった。少しくらい変ったことがあっても、鷹揚に受け入れてしまうふんいきが、この土地柄にはあったのだ。

【注】「ホミ」:「鋤」と書く。田畑の除草に使う小型の鉄製農具。草取りを、素手でなく「ホミ」で行なうのが、朝鮮農法の特色であった。移植ごての役割もする。

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 それでも、農楽の躍動的なリズムに合わせて足をはこんでいると、ぼくの股のあいだのものは、ときどき頭をもたげてくるのだった。それが、チャドルを喜ばせていた。ぼくのものが、大きく前に飛び出して、小鼓(ソゴ)のビートに合わせて揺れた時などは、彼はぼくの胸を横から抱いて、首すじといわず、顔といわず、舐めまわした。
 照りつける太陽の下で、こんなふうにしていたので、昼ころには、ぼくの身体
(からだ)はチャドルの唾液の匂いでいっぱいになった。ぼくの身体全体から、彼の匂いが発散していた。そのことがまた、ぼくの気持を有頂天にさせた。ぼくは、からだごと彼のものになったと感じた。ぼくがチャドルになったようにさえ感じられて、誇らしかった。

 コットゥセ(座長)と交わったことで、ぼくは皆から一目置かれるようになっていた。髭づらの男も、もう手を出さなくなった。茶山はもちろんのこと、年長の者たちは日差しを避けるために、両班(ヤンバン)のような黒い鍔広の帽子をかぶっていた。

 尖った岩をぎっしりと埋め込んだような低い山を背に、数十軒の草ぶきの小屋が集まった大きな村が見えてきた。一行は、

 「天下大将軍」
 「地下女将軍」

 と書かれた将軍標(チャングンピョ)のあいだを通って、リズムを踏みながら村の中へ入って行った。

【注】「将軍標(チャングンピョ)」:部落の入口に、魔よけのために置かれる2本の柱。↓写真は、西武秩父線高麗駅前にある模造品だが、こんなに巨大なものは現地ではめずらしい。

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      将 軍 標 (埼玉県日高市

 村のまんなかは広場になっていた。ぼくらが広場の中央に陣取ると、村人がおおぜい集まって来た。

 「農者天下之大本」

 の旗幟を中央に立て、大小の鼓手と鉦(チン)、ケンガリがそのまわりを廻(めぐ)って、プンムルの乱舞で演芸開始の雰囲気を盛り上げた。

 ゴーン ゴーン

 という鉦(チン)の重い響きが、腹の奥底から情熱を駆り立てるようだ。

 場の雰囲気が高まり、観衆のあいだから、

 「オイグ!」「チョッター!」

 と、声がかかるようになると、横笛と篳篥(ひちりき)と胡笛(ホジョク)が加わった。けたたましいほど野性的な響きが、村と野山を揺るがしている。座員のなかの少年たちが、舞いに加わる。そして、曲芸が始まる。体重の軽い子どもたちが、舞い踊る大人たちの肩に乗って、さながら踊るピラミッドのようだ。いよいよ激しく楽器を打ち鳴らしながら、曲芸がつづく。
 こんどは、座員たちはみな、長い条になった白布のついた帽子をかぶって、サンモノリ(吹き流し舞踏)をはじめた。踊り手たちがすばやく回転すると、たくさんの白い条が、渦のようになびく。たがいに縺
(もつ)れることも、むらを作ることもなく、美しい曲線模様を織りなして流れるさまは、みごとだ。

【注】「鉦(チン)」「ケンガリ」:「チン」は真鍮製の厚手のドラ。重い音がする。小節を刻むように、ゆっくりと打つ。「ケンガリ」は薄手で小型。高い音で、速く打つ。

【注】「プンムル」:「プンムルノリ」ともいう。「プク」(太鼓)「杖鼓(チャンゴ,つづみ)」「小鼓(ソゴ,タンバリン型の小太鼓)」「チン」「ケンガリ」など、主に打楽器を用いた演奏に合わせて踊る「農楽」の1ジャンル。躍動的な3拍子を基本とする。

【注】「胡笛(ホジョク)」:チャルメラに似たダブル・リード式縦笛。

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胡 笛 (ホジョク)      

 ぼくは、裸かのまま、広場のへりに膝を抱えて坐り、一座の舞踏を眺めていたが、自分も何かしなくては済まないような気がしていた。21世紀と18世紀の“落差”を利用すれば、村人を驚かすような手品は、いくらでも考えられたが、どれもこれも道具と材料が必要で、それらは、この時代にはないのだった。
 後ろを見ると、松の幹から松脂
(まつやに)が垂れているのが見えた。ぼくは、あることを思いついて、松脂を掻き取って集めた。踊りの交代で休んでいたチャドルのところへ行って、村の家から竈(かまど)の灰と鍋1箇、油と麦わら少々と、いろいろな大きさのパガジを貰って来るように頼んだ。

 でも、これがうまくいかなかった。チャドルには現代語が通じなかったのか、ぼくの発音が悪いせいなのか、チャドルが持ってきたのは、仮面劇の仮面やら、神降ろしの道具やら、ぼくの予想しない奇妙なものばかりだった。
 そこで、茶山に頼んで、筆談で通訳をしてもらった。茶山は、すっかり打ち解けて、気さくになっていた。ゆうべのあの近寄りがたい雰囲気は、いまはなかった。

 茶山は、こういう「科学」には興味があるのではないかと思ったが、案のじょうだった。石鹸の作り方は「西学書」で読んだことがあるが、実際に造るのは初めてだと、彼は言った(筆談で書いた。以下同じ)。
 ぼくは、石鹸の用途を説明した。すると、茶山は頷いて、みな「西学書」に書いてあるとおりだと言って、にっこり笑った。これからは、そういうさまざまなものを造って広め、民
(たみ) の暮らしを少しでも楽にしてやりたいと思っている。茶山はそう言って、遠い眼をした。そして、平原のかなたに霞んでいる真新しい城郭を仰ぎ見た。

 ぼくは、朝鮮にも当時の日本にもない城の形を見て、京畿道水原(スウォン)に新築された「華城」にちがいないと思った。ここは京畿道だということが判った。
 そこで、茶山の年譜を思い出したのだが、彼は、この暗行御史に任ぜられる前の数年間、水原
(スウォン)「華城」の設計と建築に従事していたのだった。「華城」は、西洋と中国・朝鮮の建築技術の粋を集めた建築物として有名で、21世紀には世界遺産に登録されている。茶山は、工事のための起重機なども発明して、民の力役の負担を減らしているのだ。

 そのことに思い当たった時、ぼくは、この万能天才人にとって石鹸造りなどは、ごくごく初歩的な技術にすぎないことに、ようやく気がついた。いま、見た目は男寺党の俄(にわ)か座長にすぎないこの人のスケールの巨いさに、ぼくは圧倒される思いだった。

 チャドルが、頼んだ品物を集めて来てくれた。ぼくは、鍋に水を汲んで灰を溶かして上澄みを取り、一座の炊事係に火を起こしてもらって、油を加えて煮立たせた。しばらく煮ていると、ふわふわした加里石鹸の塊が浮いてきたので、パガジで掬い取り、松脂を加えて、さらに煮た。これを盥(たらい)の水に入れて薄く延ばせば、シャボン玉液の出来上がりだ。
 茶山は、ぼくの操作手順を、熱心にじっと見守っていた。

 ぼくは、パガジのふちを切り取って、いろいろな大きさの輪っかを作った。輪っかでせっけん液を掬えば、大きなシャボン玉ができる。麦わらを短く切って作ったストローで吹けば、小さなシャボン玉がたくさんできる。

【注】「西学書」:西洋の科学、文化、キリスト教に関する書物。中国で書かれたものや、北京で漢訳されたものが、朝鮮王朝に持ち込まれた。『天工開物』『奇器図説』『坤輿万国全図』『天主実義』,ユークリッド『幾何原本』などが読まれた。

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「挙重機」の図。『華城城役儀軌』(1801年 銅活字本)より。

 広場の中央では、仮面劇の上演が終ったところだった。プログラムは、おしまいに近づいているようだった。ぼくは、チャドルに盥を運んでもらって、観衆の前に進み出た。ぼくはシャボン玉をはじめたが、はじめのうちは、村人たちはぼくが何をしているのかわからず、ざわついていた。

 シャボン玉がつぎつぎ風に舞って昇ってゆくと、人びとは静まって、ぼくに視線が集まった。大小の虹色の球がきらきら輝いて流れるのを見て、子どもたちが歓声を上げた。彼らは、ぼくと同じ素っ裸かの恰好で、ぼくのまわりに集まって来た。ぼくは、小さい子にはストローを、大きい子には輪っかを渡して、シャボン玉を作らせた。遠慮ない裸かがぶつかりあって、身動きがとれないくらいになった。

 彼らが上手に吹けるようになると、ぼくは座員から横笛を借りて、「アリラン」と「トラジ」を奏でた。この2つは、京畿道地方の古い民謡だと聞いていたから吹いてみたのだが、はたして村人たちは節回しを知っているようだった。ぼくの笛に乗せて唄いだす者もいた。
 「トラジ」を始めると、村人は老人を先頭に次々進み出て、脚で調子をとりながら、おもむろに舞うのだった。

 子どもたちが吹き上げるシャボン玉の一つ一つに、ぼくはさまざまな人の顔を見た。チャドルも茶山も、座のほかのメンバーたちもいた。村人たち、草莽のソンビたち、正祖王と高位の臣僚の姿も見えた。新宿のママも、ヒロトも、店に集まるゲイの面々もいた。東洋学の蓬髪の教授、ゼミの学生たち、DとE、ドイツ人留学生のMもいた。
 昇ってゆく途中で弾
(はじ)けてしまうシャボン玉もあったが、弾けても弾けても、また新たなシャボン玉が生み出され、膨らみ、覚束無(おぼつかな)げにゆらゆらと昇ってゆくのだった。

 茶山が、ぼくの傍らに来ていた。懐(ふところ)から巻き紙を取り出して、
 「我欲窮千里目」(我れ 千里の目
(もく)を窮めんと欲す)
 と書いた片句をぼくに示した。続きを書けというのだろう。ぼくは、
 「君更上一層樓」(君 さらに上
(のぼ)れかし一層の楼)
 と返した。茶山は続けて、
 「殉天飄莫憂」(天に殉ず 飄
(ひょう)として憂(うれ)いなし)
 と記した。

 無数のシャボン玉が飄々として浮かび、飄々として砕けていた。

【注】「我欲窮千里目」:唐・王之渙の五言絶句「鸛鵲楼ニ登ル」の転句をもじったもの。もとの詩は次のとおり。なお、作中の茶山が付け加えた句も、この詩の脚韻を踏んでいる(流 - 楼 - 憂 平水韻・十一尤)。

 白日依山尽(白日 山に依りて尽き)
 黄河入海流(黄河 海に入りて流る)
 欲窮千里目(千里の目を窮めんと欲して)
 更上一層楼(更に上る一層の楼)

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