ギトンの秘密部屋だぞぉ

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昧爽の迷宮へ(8) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

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 ぼくの背よりも高いヨシが、水面にまで生え広がっていた。路は、ここで行き止まりのようだった。風が吹いていた。森の奥からも、ごうごうという音が聞こえる。寂しく、恐ろしげだったが、さきほどのような恐怖は感じなかった。この世界の状況には慣れてきたと思った。50メートルほど先の水面で、何かが動いたような気がした。
 いまヨシが揺れたのは、風だろうか? それとも水鳥か何かか? イノシシとか熊とか、害をする生きものでないといい。ぼくは腰を低くして、異変の感じられた場所を見守った。

 すると、ヨシのあいだに、黄色っぽいものが見えた。こちらに近づいて来る。動物の毛皮ではない。はじめは、黄色い服を着た人間だと思った。さらに近づくと、服を着ていないのが分かった。日に焼けた褐色の肌が、巧みにヨシの繁みを捌(さば)いて歩いてくる。すらっとして、少年のように見えるが、背丈はぼくより高い。片手に、大きめの椀のようなものを持っている。逞しい胸が見えてきた。こちらを警戒するようすもないが、あきらかに、ぼくを目指して来る。精悍な顔立ちだ。繁みを透して下半身が露わになると、股のあいだのふわっとした毛に覆われたもの、そして細身の両足がまぶしかった。ぼくは自分の股のあいだにも特別な感触を覚えて、眼を落とすと、ぼくも服をまったく着ていなかった。ノートの入った鞄も、ほかの持ち物も、すっかりなくなっていた。少年のような裸かの若者は、椀を持っていないほうの手を振り上げて叫んだ。

 「アヤ! パガジ、オディロットンガ」

  少し考えてから意味が分かった。古めかしい言葉だが、たぶん李朝語だ。ぼくの知識が間違っていなければ、彼が右手に持っている容器がパガジで、ぼくが持っていないのはなぜだと訊いている。

 「モッラヨ」

 相手もきょとんとして、少し考えてから意味が分かったようだった。ぼくは現代語で、「わかりません。」と言ったつもりだ。

 「アヤ、イリオノラ!」

 浅黒い肌の少年は、ヨシの繁みの縁(へり)に立ち止まって、ぼくを手招きした。「アヤ」というのが、ぼくの名前らしい。「雅也(アヤ)」だろうか?

【注】「パガジ」:球形のヒョウタンの皮を二つに切った半球形の容器。水を汲むのに使う。

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 まるで異様な出会い方だが、ふしぎと気にならなかった。ぼくは彼のほうへ近づいて行った。はだしの足が滑って、転びそうになった。彼が駆け寄って、ぼくの腰をがっしりと掴んで抱き起こした。ぼくの身体は泥だらけだった。彼は、何か叱責するように叫び、右手のパガジで池の水を汲んで、ぼくの頭から掛けた。水は冷たかったが、寒くはなかった。それから、二度、三度、汲んではぼくに頭から浴びせた。

 ぼくは、彼の褐色の精悍な肌も濡らしてみたくなったので、手のひらで水をバシャバシャひっかけた。彼も、げらげら笑いながら応戦した。彼もぼくも、頭から股のあいだまでずぶ濡れにしてから水の上で抱き合った。彼の舌が入って来た。と、経験したことのない強い力で吸いはじめた。さも、ぼくの唾液を欲しがっているように。そしてぼくの目鼻をなめまわす。と、ぼくの頭をぐうっと押し下げて、怒張した股のあいだのを口に含ませた。ぼくは、こういうシチュエーションには馴れているけれど、これほど歓びを感じたことは今までになかった。

 あっという間に、真っ白い泡がぼくの口から水面に飛び散った。少年は、ぼくをまた引っぱりあげて、強い力で抱きしめた。ぼくを抱いて頻りに尻を撫でながら、肩の向うで何か喋っているが、ほとんど聞き取れない。コットゥセ(座長)様がおまえを欲しておられるのだが、「コッチョンハジマ。コットゥセニムケソ、プドゥロウンブニシルゴヤ。」優しいお方だから心配するなと言っているようだった。どうやら彼は、男寺党(ナムサダン)の一員であるらしかった。

【注】「男寺党(ナムサダン)」:朝鮮王朝時代の旅回り芸人一座。奴婢身分の男だけで構成され、村々を渡り歩いて、「農楽」、仮面劇、曲芸などを見せて投げ銭を稼ぎ、同時に若い座員に男色売春をさせて生活した。男色が広まることを恐れた朝廷は、同じ村に1日を超えて逗留することを禁じた。座長を「コットゥセ」という。

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男寺党(金弘道 1745 - post 1816)

 少年に手をとられて、ぼくは水面から上がり、森の中へ入っていった。彼の身体も、ぼくの身体も、水滴を垂らしていた。今まで気がつかなかったが、広いまっすぐな路が、奥へ通じていた。はだしで歩いていたが、草の上を歩くようにすれば痛くなかった。やがて、陽の当たる開けた場所に出た。小さな亭閣があり、その前で 20人ほどの男たちが、赤・黄・藍の衣装をまとって車座になっていた。「農者天下之大本」と書いた農楽の旗幟が亭閣に立てかけてあった。

 ただ、奇妙なのは、亭閣にいる座長の男が、他の者とは異なって、文官士族の服装をしていることだった。

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