ギトンの秘密部屋だぞぉ

創作小説/日記/過去記事はクラシック音楽

森のいきものたちのように、あるいは草原のように Wie die Lebewesen im Wald oder auf dem Felde.

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 ルクレチウスのレヴュー記事。きのうのコメントに、rigmaroleさんから返信がありました。

『抜粋の最後の部分にご感想を持たれましたね。
 この後、その「新しいもの」も次の世代にとって代わられ、そういうサイクルがずっと繰り返されるというくだりになります。彼によると、心身を構成する原子は、このようにして分解と再構成を繰り返していくわけです。』

 ルクレチウスによると、肉体だけではなく魂も物質ですから、人間の精神も、原子で構成されています。肉体の死と同時に、精神(魂)も、もとの原子に分解し、遊離した魂の原子は、新たな魂が作られる素材になります。
 ですから、「古い」魂の執着を押しつけるのはよくないが、それが生きているあいだに得たものは、「分解」と「再構成」を経たうえで、
かならず何らかのかたちで次世代に受け継がれてゆくわけです。邪魔をしないだけでなく、継承をうながすことも大切ではないか、ということになります。
 そういえば、小泉八雲(ラフカディオ・ヘルン)が、同じようなことを『塵』という随想に書いていました。

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 ルクレチウスのコメントを書いた時に、ぼくの念頭にあったのは、人間社会でも動物の集団でもなく、植物の群落でした。「何々の群落」とか「ブナ林」「エゾマツの純林」などと言っても、純粋に一種だけが生えているのではなく、ほかの種が混じっているのがふつうです。近くに生えている植物どうし、あるいは菌類や昆虫、小動物とのあいだでも、互いに影響を与えあっています。地下茎で繋がった“親族”個体のあいだだけでなく、「血のつながり」のない個体のあいだにも、影響や継承の関係はあるのです。

 とくに、ぼくら同性愛者の場合には、「血のつながり」による継承だけを考えていたら、成りたたないと思います。親族にとらわれずに、もっと広い“輪”を考えてゆく必要がある。

 そういうことを思いながら書いていたのですが、筆先にまで表われるには時間がかかりました。

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 せっかくの連休ですが、外出しそびれています。ひとりで暮らしていたときと違って、朝起きて、となりからいびきや寝言が聞えてくるだけで、なにか安心してしまうんですね。

 『大いなる幻影』という映画で、戦争中に、夫が出征して(戦死して…だったかも)、人里離れた家に独り取り残された奥さんのところに、ドイツの捕虜収容所から逃亡中のジャン・ギャバンとマルセル・ダリオの2人組が転がりこむんですが、夜寝ていると聞える「あなたの足音が、ほんとうにうれしかった。」という奥さんのセリフがあるんです。
 そこにも、スキン・シップがありました。

 でも、やはり引きこもりは精神を害します。明日天気が良ければ、どこかに出かけようかと。きょうも、これから夕食の材料を買ってこないとね。。。

ameblo.jp

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