ギトンの秘密部屋だぞぉ

創作小説/日記/過去記事はクラシック音楽

襲い来る悪鬼羅刹の群れ(1)

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蓄音機とレコードが日本にも入ってきた大正時代、東北の片田舎で、給料をはたいて輸入物のクラシックの名曲レコードを買いあさっている農学校の先生がいました。

イナカでレコードを聞くと言えば、浪花節義太夫に限られていた当時のことです。

輸入取次をしていたビクターは、この町のレコード店だけがずば抜けて売上が良いことに驚いて、そちらには華族文人の避暑地でもあるのか?‥と問い合せたそうです。

ところが、レコード店の回答は、こちらはただのイナカで、教養のある人などはいない。ただ、宮澤賢治という変人で通った教員がいて、意味のわからない詩集や童話集を出したり、レコードを気ちがえのようにたくさん注文したりしているのだ‥というのでした。



当時のことですから、買い漁ると言っても、ベートーヴェンチャイコフスキーの“スタンダード・ナンバー”が大部分になってしまったのは、いたしかたのないところでしょう。

それでも、宮沢賢治なりの好みはあったと見えて、モーツァルトはほとんど聴いた形跡がなく、バッハ、ハイドンブラームス、ワグナーなども、少なくとも彼の作品に影響を与えることはなかったようです。

その一方で、クラシックだけでは飽き足らずに、アメリカン・ポップ・ソングや、草創期のジャズなどにも、旺盛な食手を伸ばしています:

Early 1920's Jazz - YouTube
Louis Armstrong - Trumpeter
Benny Goodman - Clarinet
Duke Ellington - Piano  et al.
1920年代初期のジャズ」
ルイ・アームストロング(トランペット)
ベニー・グッドマン(クラリネット
デューク・エリントン(ピアノ),ほか

ところで‥、その宮沢賢治ですが、亡くなる1ヶ月ほど前に、自宅を訪ねてきた友人と、あるクラシックの曲を聞いたさいに、
 「おお怖い‥ 手に手に異様な武器を振りかざした悪鬼羅刹が襲いかかって来る」

と呟いたと言います:



「賢さんのなくなられる少し前(昭和8年8月下旬)賢さんのお宅の表二階でベートーヴエンの第5ピアノ協奏曲(皇帝)(シユナーベル演奏)を聞いた時の印象は今尚鮮やかである。

 一体私は此のベートーヴエンのレコードに就いて忘れる事のできない大なる感激を三度繰返した。〔…〕

 第三回は賢さんと一しよに聞いた時である。〔…〕

 〔…〕私はあの晩此のレコードによつて表二階に醸し出された霊的な雰囲気と賢さんの『ホーホー』と云ふ感嘆の声と共に到底忘れる事は出来ない。(賢さんは愉快になると、聞く私達までをも愉快ならしめる様な『ホーホー』と云ふ叫び声をよくあげあの特徴のある白いツツパ〔ママ〕の存在を益々明瞭ならしめるくせがあつた)第一楽章アレグロの中程(レコード第三回中頃)の曲符を見たゞけでも全く圧倒されずには居れぬ物凄い迫力に至つて賢さんは眼の色を変へて飛び上がつた。

 『おゝ怖い\/』『手に手に異様な獲物を振りかざしておそひかゝる悪鬼羅刹の鬼気迫る幻想。』

 ───賢さんは耳から入る音楽が直ちに色や形の形象となる事をいつも云つておられた。

   〔…〕

 ベートーヴエンの力強いリズムは賢さんの詩の形式的構成に対して相当の暗示と影響とを与へたものらしい。」


宮沢幸三郎「スーヴェニール」(初出:1935年4月), in:続橋達雄・編『宮澤賢治研究資料集成』,第1巻,pp.182-183.



 さて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲『皇帝』───あの華麗かつ明朗な‥王侯貴族の趣味にふさわしい名曲に、「悪鬼羅刹の鬼気迫る」ようなパッセージがあったでしょうか?‥

 さいわい、シュナーベルの1932年の演奏は、古いレコードが Youtube にアップされているので、聞くことができます。宮沢賢治の死去した大正8年(1933年)の前年3月の録音ですから↓、おそらく両宮沢氏が聴いたのも、この音源でしょう:
- YouTube
Beethoven Piano Concerto No. 5 in E flat Major, op. 73
by Ludwig van Beethoven (1770-1827)
1. Movement "Allegro"
Artur Schnabel, piano
London Symphony Orchestra
Sir Malcolm Sargent, conductor
London, 24.III.1932
19:20
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73
第1楽章 アレグロ
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ロンドン交響楽団
サー・マルコルム・サージャント指揮
1932年3月24日ロンドンにて録音。

「いったい、この曲のどこが鬼気迫るんだ?!」とおっしゃるかもしれません。

↑上の音源の9分20秒から先を、ちょっと聴いてみてください‥ どうでしょう?‥ 

9:20 -- 10:09 で、「おゝ怖い\/」
10:09 -- 10:55 「手に手に異様な獲物を振りかざしておそひかゝる悪鬼羅刹の鬼気迫る幻想」

ではないでしょうか?



‥しかし、この音源は第一楽章全部なので、長いです。もっと細切れに切ってお聞かせして、ここがこう‥ あそこがああ‥ と説明できるとよいのですが。。。
ギトンには、録音のしかたも、ヨウツベへのアップのしかたも分かりません...

同居人が、そういうのに詳しそうなので、今度聞いておきましょう。

とりあえず、ここは楽譜を見せながら説明したいと思います。。。 といっても、今夜はもう遅いので、明晩? ‥次回にしたいと思います。


「鬼気迫る」といえば‥ ↓こちらもちょっと聞いてみてください:
- YouTube
6:23
チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章 アンダンテ・マエストーソ(前半)
ヴァレリーゲルギエフ指揮
マリインスキー歌劇場管弦楽団
2008年ライヴ録音。


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