ギトンの秘密部屋だぞぉ

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昧爽の迷宮へ(3) Ins Dämmrungslabyrinth (Novelle)

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 Ted Shaw: "populaire danseur de music hall pose nu" en 1917.

 

 店を開(あ)けて、はじめの2時間くらいは、ぼくと、その二人の客だけだった。気の置けない人たち。放っておけばふたりで話し込んでいるから楽だ。歳(とし)はアラフォーあたりに見えた。ゲイカップルは実にいろいろだが、この二人は、ただの友達か、漫才のコンビにしか見えない。話の内容が、そうなのだ。「恋人らしい」あるいは「夫婦のような会話」がない。他人を寄せつけない雰囲気というものが、まるでないのだ。

 片方は税理士、もう片方は司書ということだった。それがほんとうならハイクラスだが、ちっともそれらしくない。服装のせいだろうか。齢(とし)のわりに若づくりのラフな格好をしている。もちろん、この界隈での自称はあてにならない。それでも、話の内容はときどきハイクラスで、ぼくのこともいろいろ聞かれ、卒論の構想など聞かれたので話したら、マニアックな漢詩文の話題に乗ってきた。

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 8時前にママが出勤し、その前後に、遅番の店子2名も揃った。客も急に増えて賑やかになった。この店はママの話術でもっているようなものだ。客は、ママが引き起こすカウンター周りのがやがやを目当てにやってくる。大部分は20代だ。

 洗って乾かしておいた新しいグラスを、ママの指示でカウンターに並べた。スタンド付きで背の高い、すばらしい曲線美。キラキラと輝いている。いままでのグラスが、古ぼけたコップにしか見えない。新しく注(つ)ぎなおして、客と全員で乾杯する。

 店のなかが、すっかり華やかになった。カウンター周りの雑談のテンションが上がっている。自称ハイクラスの二人も、ときどき若い連中のがやがやに加わりながら、店子を相手に自分らの漫才を続けていた。彼らは、もう3時間以上与太話をしているが、いっこうに飽きる気配がない。

 ポンッと音がして、店子で最年少の19歳のヒロトが、シャンパンの開栓に失敗して髪と顔を泡だらけにしていた。カウンター周りが、どっと笑った。ぼくは、調理場から乾いたタオルを持って来て、ヒロトの頭を拭いてやった。

【注】「店子(みせこ)」:ゲイバーの従業員のこと。
【注】「ママ」:ゲイバーで店長(男性)を指す呼称。多くは雇われ店長

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 雫が、鼻からも顎からも垂れている。と、驚いたことに、垂れた雫は、ヒロトの裸かの胸の上を流れ、へそから、その下の繊細な繁みに達していた。

 もちろん、そんなはずはない。ヒロトは、さっきまで、スヌーピーのトレーナーと真新しいデニムを着こんでいた。人のいない調理場のほうを見て瞬(まばた)きしてから眼を戻すと、やはり着衣だった。それにしても、こんな至近距離で見まちがえるだろうか? ぼくは、ほかの人間に不審に思われないように、そのままヒロトの顔とトレーナーの雫を拭(ぬぐ)った。

 窓際にいた三人客の一人が、窓を開けて、下の通りにいる仲間に何か話しかけていた。それを、カウンターの上に置かれたグラスを通して見る位置に来ると、その男のきれいな剝(む)き出しの尻に眼が釘付けになった。ぼくは、自分の眼の位置をずらしてみた。何度見ても、グラスを通すと裸体、通さなければ着衣だった。

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 客の前で、ぼくは不審なしぐさをしていた。ママが、「マサヤ、だいじょうぶか?」と、ぼくに声をかけた。ママの声は冗談めいていたが、それを聞いたとたんに、部屋(へや)全体に上からシャワーがかかったようになった。ぼくは頭から白い泡を浴びたように感じた。泡は、身体(からだ)の表面ではなく、頭脳から、手脚胴体の内部へ降りしきる奔流のようだった。

 天井が揺れたように感じて、ぼくはカウンターの中で倒れ込んでいた。

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