ギトンの秘密部屋だぞぉ

創作小説/日記/過去記事はクラシック音楽

1冊の本と青いインク


プラハ “ヴィシェフラト”


中学や高校で、教科の先生に故障があって
ピンチヒッターで半年とか1年とか臨時に来る若い先生…

……恋愛対象になりやすいんですよねw 生徒にとっては。。。
Bedřich Smetana - Má Vlast - Vyšehrad
Má Vlast (My Country): 1. Vyšehrad (The High Castle)
Rafael Kubelík - Boston Symphony Orchestra 1971
スメタナ交響詩『わが祖国』より「ヴィシェフラト(高い城)」
ボストン交響楽団
ラファエル・クベリーク(指揮)
1971年


青柳教諭を送る
秋雨にしとゞうちぬれ
きよらかに頬瘠せ青み
師はいましこの草原の
たゞひとりおく[れ]来ませり

羊さへけふは群れゐず
玉蜀黍(きび)つけし車も来ねば
このみちの一すじ遠く
ひたすらに雨は草うつ

友よ さは師をな呼び給ひそ
愛しませるかの女(ひと)を捨て
おもは[ざ]る軍(いくさ)に行かん
師のきみの頬のうれ[ふる]を

(宮沢賢治『文語詩未定稿』
下書稿より)
↑この詩も、そういう臨時教員──当時は“代用教員”といったそうな──の思い出を詠っているのですね

ミヤケンマニアにも国文学者にも、ついぞこれが作者の初恋だったと主張した人はいないのですが‥‥
“聖人”が同性愛の初恋をしたらいけないのかっ(笑)

☆ 玉蜀黍(きび):音数を合わせるために「きび」と読ませていますが、トウモロコシのこと。
☆ さは師をな呼び給ひそ:先生をそのように呼ばないでください。同行していた上級生が足の遅い青柳教諭を嘲って呼んだのを、作者は不快に感じている。
☆ おもはざる軍(いくさ):予想外の徴兵。

「青柳教諭」は、島根県の出身でしたが、東京外国語学校卒業後、徴兵召集までの半年間、準教諭として盛岡中学校(賢治が在学中)に赴任しました。当時、盛岡中学といえば歌人石川啄木の出身校として有名でしたから、文学青年としての憧れがあって、あえて遠地に就職したのかもしれません。。

「おもはざる軍(いくさ)」というクダリから、賢治研究家の間では、「青柳教諭」はキリスト者として徴兵忌避をしたという説まで唱えられたのですが

現在までの研究調査の結果、青柳氏はクリスチャンでも反戦主義者でもなく、のちには満州鉄道の幹部にまでなっていることが判明していますw
むしろ、↑上の詩のふんいきが語っているのは、作者の“青柳先生”に対する思い入れの深さなのではないでしょうか‥‥




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2nd movment: Allegro con grazia.
チャイコフスキー交響曲 第6“悲愴”」第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア★
マリインスキー劇場管弦楽団
ヴァレリーゲルギエフ(指揮)
この曲、クラシックには珍しい5拍子なんです。1─2─3─4─5─と自分で拍子をとってみると分かります。

ギトンも、高校1年の時に半年だけ教えてくれた当時大学院生だった先生にときめいていたことがあります(///.)/ 先生がほかの子の質問に答えたりして話している時にも、先生はよく、不意にギトンのほうを振り返って声をかけてくれることがありました。きっと、←いつも、こういう目で先生を見ていたのでしょうね‥‥(笑)


学校から去ってゆく時に、先生はギトンに1冊の本を贈ってくれました。これは、同級生は誰も知らない内緒の話なんですけどねw

高校生のギトンにとっては、すごく難しい本で‥読んでもよく分かりませんでした。先生が大学生のときに使っていた教科書のお古らしくて、先生の字で青いインクの書き込みがあちこちにしてありました。

何年かたってから読み返してみると、ようやく少し分かりました。その本には、
“人間社会の道徳や倫理は、正しいからそうなっているというよりも、習俗のひとつなのだ。”

ということが書いてあったのです。哲学者アリストテレスの説などを引用して述べていました。

意味は分かっても納得はできませんでしたが‥‥


さらにずっと時間がたってから、“道徳は習俗であって、絶対的なものではない”ということが、だんだん納得できてきました。

そして、先生は、高校生のギトンの性格や悩みがよく分かっていたからその本をくれたのだ
ということも、分かるようになりました。。



しかし、理解できたときには、もう遅すぎたような気がします‥
もっと早く理解していたら‥


その本は、今も持っています。

でも、ぼくは本だけでなく、先生もほしかった。。。←